秋は縄文...
ということで、去年の秋に縁あって入荷した縄文土器の破片をリリース。
縄文遺跡で有名な青森県の三内丸山遺跡から出土した縄文土器片です。
こんなご縁は滅多にないんですよね...
私は二十年以上前から縄文時代には注目してましたが、まさか縄文土器の出土品が手に入れられるとは思っていませんでした。
現在は国家遺産として価値が認められ発掘や盗掘は禁止されていますが、長い間縄文遺跡の価値が認められなかったため、地元の方が自由に発掘していて、その出土品のコレクションだそうです。
なので禁制品ではありません。
初めて触れる縄文土器...焼き物なので軽く、触るとサワサワと音が鳴ります。
土器ですが長い年月をかけて石化して、軽石のような質感です。
わかりにくいですが、表面には石英なのか土の成分なのか、ラメのようなキラキラがあるんですよね...びっくりです。
縄文土器の名前の由来でもある網目模様がよく出ているもの、テラコッタのような明るい色味で美的価値のあるものをセレクトしました。
5000年前の私たちの先祖からのメッセージは、現代に生きる私たちに何を問いかけるのでしょうか。
縄文時代中期(約5000年程度前)の円筒上層式土器片
66x51x11mm
51g
青森県青森市大字三内字丸三内丸山遺跡
一万年以上続いたと言われる縄文時代。紀元前14000年頃から紀元前10世紀までの間とされています。世界ではインダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、中国文明など四大文明が栄えていた時代と重なります。様々な争いや文明の興亡から遠く離れて、大陸の端っこの列島で牧歌的な暮らしが営まれていた縄文時代。紀元前一万二千年頃に日本列島が大陸から離れたので、その二千年前頃から始まったことになりますね。
文字を持たないため、文明として残っていませんが、遺跡から高度な精神世界や互助の精神に満ちた社会が営まれていたことがわかっています。縄文文化圏の最大のメッカは関東で、今よりも一℃平均気温が高かったため、温暖で縄文海進と言われる内陸部まで海岸線が迫っていた時代でもありました。
秋冬の葉を落とし狩猟が可能な広葉樹を中心とした東日本を中心に縄文遺跡が分布し、三内丸山遺跡も青森県にあります。1994年に大型掘立柱建物跡が発見され、2000年に国の特別史跡になり、今では世界遺産に登録されています。この発見がなかったら、野球場になっていたそうで、縄文時代の生活をつぶさに伝える出土品が多かっただけに、危うく縄文文化の存在が消えてしまう所でした。
今思うと私が岡本太郎を通して縄文時代に興味を持ったのは、三内丸山遺跡の大型掘立柱建物跡が1994年に発見され縄文ブームが沸き起こってしばらくした頃でした。岡本太郎も2年後の1996年に亡くなっていますので、何か運命的なものを感じます。岡本太郎が縄文土器の美を発見しなかったら、縄文時代の価値が今のように認められることもなく、遺跡はどんどんと葬られて行ったことでしょう。
いわゆる日本というのは、弥生時代以降の文化や文明を柱とするものですが、先住民文化として縄文文化は私たちの民族性に通底として流れています。日本人の和を尊ぶ精神も、武器がなかったと言われる縄文文化の精神かもしれません。母性的な側面の強い日本の文化も、母なる自然を尊ぶ縄文の精神がベースにあるかもしれません。縄文のメッセージは今後より一層身に染みて来る気がします。
今回縄文土器片の荷物の梱包を解いた時、フワッと風のようなものが中から流れるのを感じました。今の文明とは全く違う文明のエネルギー。かつてあった精神世界を彼らの遺物を受け取ることで少しでも感じられないでしょうか。水瓶座時代と言われるこれから、縄文スピリットは新たなヒントを届けてくれるかもしれません。